プロフィール

自分らしく自由に生きていく

 

名前:よしこ

 

 

はじめまして、こんにちは。

 

 

私がアフィリエイトというものを知ったのは、最近です。

 

 

パソコンは、就職活動に有利だからと取った資格があるので
それなりに使えますが、プログラミングやその他専門的な知識は
一切ないです。

 

 

人に自慢できるような特技はありません。
本当に平凡な人生を送ってきました。

 

 

普段あまり過去を話したり振り返ることはしないですが、
私のような人生を送ってきた人でも自分の気持ちや行動次第で
未来を変えることができると思ってもらえたら嬉しいです。

 

 

 

やりたいことが特にない学生時代

 

 

「やる気のないお子さんで……」

 

 

 

私は1992年、教職員の父と元ピアノの先生の母の間に生れました。
公務員として働いている3つ離れた姉がいます。

 

 

 

生活に関しては裕福というわけではないですが、
あまり不自由したことはなかったように思います。

 

 

 

小さい頃からピアノ(自宅で母から)と公文式教室に通っていましたし、
絵画教室・習字・水泳と、色々させてもらえました。

 

 

 

絵や水泳などは、ある程度は楽しかった記憶がありますが、
ピアノと勉強に対する母の執念は、凄まじかったのを覚えています。

 

 

 

幼稚園の頃から公文の宿題とピアノの練習は必ず毎日。
音がとれないと突然キレて殴られる。
夜、母の機嫌が悪くなりピアノの練習中に椅子から叩き落される。
幼稚園でかけ算の三の段だけ覚えられなくて怒られる。
小学校一年生で小数点が分からず叩かれる。

 

 

 

中学の頃は毎朝母親から英語を教えてもらっていましたが、
習った問題が解けないと英語辞典で殴られたこともあります。

 

 

 

・・・・・・よくまあ反抗もせず普通に勉強とピアノを続けていたものです。
よほど、そういうものだと思ってそれ以上何も考えていなかったんでしょうね。

 

 

 

いくら思い返しても、なぜあそこまで必死になれるのかは理解できないです。
ただ、今思えば、結婚せず一人で生きていくかもしれないと、
そうなった時に、とにかく何でもそれなりに出来るように、
勉強して資格さえとれれば何とかなるという母なりの考えあっての
厳しさだったのではないかと思います。

 

 

 

そうはいっても、習い事に関しては特にやりたかったわけでもなく、
ある程度できるようになればやめて次に行くという流れだったためか、
自分自身は学校で困らないレベルであればいいかとしか考えていませんでした。

 

 

 

勉強に対しても同じで、テスト前にあわてて復習し、そこそこの点数をとってそれで終わり。
いくら怒られようが興味もないからその後思い出すことも復習もしない。

 

 

 

自室では、右手にペン、左手に携帯ゲーム機というスタイルで
あたかも勉強しているように見せかける日々(そしてできなくてまた怒られる)。

 

 

 

そんな風に、ゲームしかせず、その場しのぎでただ何となく適当に生きてきたので、
行きたい学校ややりたいこともなく、将来のことなんて本当に全く想像できなかったです。

 

 

 

ただ何となく受験勉強含めて色々頑張ってみるけれど、
何のために頑張るのかわからなくなり、何も手につかなくなる時期も何度もありました。

 

 

 

目的も目標も何もないまま走り続けることは不可能です。

 

 

 

実際何に対しても興味もやる気もなく、先生からは「やる気のない生徒」という風に
見られていたからこその冒頭の発言だったのだと今なら納得できます。

 

 

 

そんな生活を続けていたため、
母の「手に職をつければ将来安心」「資格をとれば食うには困らない」
という言葉を信じて勉強するしかなかったのだと思います。

 

 

 

結局、周りに影響され一応設定していた第一志望に落ち、
滑り止めで受けた私立高校に通いました。

相変わらずの学校生活

 

 

 

「邪魔なんやけど、出てってくれん?」

 

 

 

義務教育を終え、成績や生活態度次第では留年や退学もあり得る
ようになっても、気持ちも生活態度もあまり変わらなかったです。

 

 

 

ただ、高一の時は学校生活も勉強も楽しかったように思います。
言い方は悪いかもしれませんが、
小・中と違い、コースやクラス分けは成績順で行われていたので、
同じように勉強した同じくらいのレベルの人が集まっていました。

 

 

 

テスト前でなくても放課後残って一緒に勉強したり、
分からないところをお互いに教えあったり。
テストが終われば一緒にカラオケに行ったり。

 

 

 

この頃は、ゲームも親に全て没収されており、
携帯もパソコンも今ほど自由に使えなくて他に何もすることがなかったので、
友人と一緒に遊んだり勉強できるのが楽しかったのを覚えています。

 

 

 

そんな風に勉強以外ほとんど何もやっていない状況だったので、
成績は良い方だったと思います。

 

 

 

このままいけば、志望大学に受かるかもと言われていました。
・・・・・・あくまで“このままいけば”です。

 

 

 

いくら環境が変わっても、変わらない自分の思考回路。

 

 

成績が上がったせいか高二からはクラスも変わり、とたんに周りは頭のいい人達ばかりに。

 

 

 

もともと地元ではそれなりに有名な進学校だったこともあり、
そのクラスでは旧帝大を目指すような人や、医大を目指すような人が
うようよしていました。

 

 

放課後も真剣に勉強している人が多く、私語をしていると
邪魔だから出て行けと言われる始末。

 

 

正直幻滅しましたね。
勉強している自分達が偉いと勘違いしているようなその発言に。

 

 

 

結局そのクラスの空気になじめず、ただ仲間がいたからという理由で勉強していた私は
「何のために勉強しているか分からない」といういつものループにはまっていました。

 

 

勉強するけど身につかない。

 

 

そこからの成績は下がる一方で、60近くあった偏差値が44にまで下がり、
第一志望だと位置づけていた大学に見事に落ちました。

 

 

 

そしてまたもや滑り止めで受けた私立大学に通うことになります。

 

少しずつ生活も気持ちも変わっていく日々

 

「真面目そうだけどわりと違うよね」

 

 

滑り止めの私立大学。
実はこの大学を選んだのは母親で、学科を選んだのは父親。

 

 

 

“栄養学科”

 

 

 

普通科で数学の教員を希望していたはずでした。

 

 

 

それまで実家で料理をしたことがありませんでしたし、
そもそも食べることに興味はないです。
一回実家が火事になりそうになったこともあり、
揚げ物と火が怖かったのを覚えています。

 

 

 

父曰く、健康意識が高まっている今、食の知識を持っていることは
非常に強みになると。
母は、大卒という“学歴”と管理栄養士という“資格”を得られることもあり、
ただただ嬉しそうでした。

 

 

 

そんな理由で選んだ大学に通う動機はただ一つ。

 

 

 

「絶対大学入り直して心理学の勉強をしてやる!」

 

 

 

栄養・数学一切関係ないですね。
ちょうどこの頃、自分のセクシュアリティとも向き合うようになっていたので、
人の心というものに興味がわき始めていたんです。

 

 

 

そんな感じでスタートした大学生活。
勉強内容には興味はあまりなかったものの、高校の時より自由な時間が
多かったので、嬉しかった半面戸惑いもありました。

 

 

 

みっちり授業があり、一日中拘束される小中高と違い、
曜日によっては授業の合間に一コマ分(90分)の授業のない時間がある不思議。

 

 

 

最初はそういった時間をどう使えばいいか分からず不安になったりしていましたが、
慣れてくれば悪知恵が働くものです。

 

気が付いたら授業によっては、最初だけ出て出席簿を書いた後、
静かに教室から出るということをやるようになっていました。

 

 

 

レポート提出や調理学実習、学外実習に国家試験の勉強・就活・・・
大変なことだらけでしたがある程度は自由だし、
気の合う友人もできたりととにかく楽しかったです。

 

 

 

振り返ってみると、今の自分が自由を欲するようになる基礎のようなものが、
この頃からできていたんだろうと思います。

 

 

そんなこんなで自由奔放に過ごしていた大学生活も4年目。
就職活動や国家試験の勉強など、社会に出るための活動が
本格的になってきていました。

 

 

 

やはりというか当然、ここでも深くは考えていませんでしたね。

 

 

 

周りが動いているし、先生も就職するようにうながしてくるし、
他に選択肢もないから私も就活しないといけないんだろうな
くらいしか思っていませんでした。

 

 

 

ただ、そんな感じで始めた就活は、本当に苦労しました。
とにかく面接がダメだったからです。

 

 

 

・自分の考えを話すことが苦手
・自分のことをよく分かってないから自己分析しても分からない
・人見知りで、とにかく緊張しまくる
・口下手で変に素直だからか、上手く言い換えたり嘘をついたりができない

 

 

 

……書いていて情けなくなってきました。

 

 

 

そんな私は、結局友人がコネ(と言ったら良くないでしょうが)で入った
高齢者施設に、おなさけで入職させてもらいました。

 

 

 

ちなみに、管理栄養士の国家試験は試験日一ヶ月前に一日10時間近く勉強して、
無事に合格しました。

 

働いて変わること、変わらないこと

 

 

 

「金さえもらえればいいと思って仕事しとるやろ」

 

 

 

そんな流れで手に入れた就職先。
業務内容としては、管理栄養士としての業務はほぼなく、
厨房業務中心で食事提供がおもな仕事でした。

 

 

 

当時は、今までと違いお金をもらっているということもあり、
気持ちを入れ替えようと自分なりに必死に仕事を覚えて
頑張っているつもりでした。

 

 

 

しかし、熱血な上司は私の行動が気に入らなかったんでしょうね。
他に新人が4人いる中で、私だけほぼ毎日のように怒られていました。

 

 

 

厨房一切関係なく、髪の毛が一本残っていただけで掃除の仕方が悪いと言われ、
午前中ずっと掃除だけさせられていたこともあります。

 

 

 

他にも今考えると理不尽なことで怒られていましたが、
長くなるので省きます。

 

 

 

とにかく、出勤のたびに何で怒られるのかドキドキする毎日でした。
普通なら突然出勤してこなくなったり、辞めるといった選択をするかと思います。

 

 

 

でも、そこは人と少し違う私。

 

 

 

「早く終わらないかな〜……」と現実逃避したり。

 

「この前と言ってることが違う、矛盾してるし」と揚げ足をとったり。

 

「この人は私のことを思って叱ってくれているのか……?」
と突然ポジティブに受け止めたり。

 

 

 

そんな職場でも続けると決めた一番の理由は
「この人がいるから辞めますなんて絶対に言いたくない」でした。

 

 

 

嫌な部下ですね。

 

 

 

結局、上司の方が会社が嫌になったらしく、私が入職して4ヶ月後に辞めていきました。

 

 

 

その上司を慕っていた他の新人も次々と辞めていく中、
黙々と仕事を続けた結果、この施設に2年と3ヶ月勤めることになります。

 

 

 

そして、この期間に起こったさまざまな出来事が、
私の「何も考えない、決断は人任せ」という考え方を
変えていくことになるのです。

 

出会いによって変わる心

 

 

 

「今の若者は、年金は期待できないと思うよ」

 

 

 

入職して半年。
私は、新規施設の厨房の立ち上げを、管理栄養士として任されました。

 

 

振り返ってみると、入社半年の人間に立ち上げを任せる会社もすごいと思います。

 

 

が、そんな重大なことを新人ではできないと考えて、
辞めていった同期を見ていたにも関わらず。

 

 

 

「まあ、やってみてできなかったら辞めたらいいや」
と思って残っていた私も私です。

 

 

 

この頃は、何も考えないというスタンスから
「とりあえず、やってみないと分からないだろう」という考えに変わっていた気がします。

 

 

 

・・・・・・鍛えられた?んでしょうか、上司に。

 

 

とにかく、まずはやってみることを考え。
とにかく、利用者さんの食事を滞りなく提供することを考えて突っ走っていました。

 

 

 

そんな中での最初のターニングポイントは、
一緒に厨房で働いていたメンバーとの交流でした。

 

 

周りは全員厨房経験者で、40代から60代と幅も広く、
仕事だけでなく人生のアドバイスも色々ともらいました。

 

 

 

そのアドバイスの中で、一番印象に残っている言葉があります。

 

 

今の若者は絶対大変よ?年金は期待できないだろうし、一生働かなあかんやろうね。」

 

 

 

言われたその時は、何となく大変なのかなくらいで他人事のように感じていましたが。

 

 

 

「人生百年計画」と言われ始めた今、それは現実味をおびています。

 

 

 

政府から、死ぬまで働けと言われているようなものだと気づいた瞬間、
「そんな人生絶対に嫌だ!」と思えた自分に感謝しています。

 

 

まあ、そう思えてもどうしたらいいかは分からず、
とりあえず“安定した収入”といえば、“公務員”だろうと。

 

 

そんな安易な考えで公務員を目指した結果、
想像もしていなかった苦労を味わうことになります。

 

 

 

今まで以上に増えていく、自分と向き合う時間

 

 

 

「なぜ、地元を離れてまで○○市を受けたんですか?」

 

 

 

管理栄養士もしくは栄養士として、公務員を目指すことになった自分。

 

 

 

私のなかで、公務員=筆記試験というイメージが強かったため、
何はともあれ勉強だと思いました。

 

 

 

もともとそこまで器用な方ではないと分かっていたので、
仕事と勉強の両立は難しいと思い、
会社を退職し就職浪人(実質ニート)を選択しました。

 

 

 

今になってこの頃のことを振り返ってみると、
生きることに疲れていたんだと思えます。

 

 

 

小さい頃から、勉強に習い事漬け。

 

 

 

小・中はまだ夏休みなど長い休みがしっかりとれていました。
(それでも宿題や母親のスパルタ教育はありましたが・・・・・・)

 

 

 

しかし高校時代は、夏休みや冬休みでも課外授業があって、
夏休みというより盆休み、冬休みは正月休みと言い換えられるくらい
休みはありませんでした。

 

 

 

大学時代は、高校よりは長い休みをとれていましたが、
それでもバイトや実習があったり、国家試験勉強があったりと、
ゆっくり休むということがなかったです。

 

 

 

将来必要になるかも分からない、勉強漬けの日々。

 

 

 

そして、そのまま就職。

 

 

 

勉強から解放されると思ったのは最初だけ。今度は、仕事漬け。

 

 

拘束される場所や、首までどっぷりつかる対象が変わっただけで、
どこまでいっても自由というものがない。

 

 

 

期間限定でもいい。いったん何もかも放り出して休みたい。

 

 

 

そんな気持ちもあって、
「公務員を目指す」という名目で長い休みが欲しかったんでしょうね。

 

 

 

実際、真剣に勉強していたのは最初の数ヶ月だけで、
後半はほとんどやっていませんでした。